浅草 浅草寺の本坊で,もとは観音院、智楽院などと称したが元禄以後、伝法院という名が付けられたそうです。
その名の通り、伝法院通りの端にその門はあります。
普段は固く門が閉ざされていますが、その内側は静粛な世界が広がっていました。
3,700坪の庭園は寛永年間 小堀遠州により作庭されたと伝えられる廻遊式庭園だそうです。
天祐庵名古屋の茶人である牧野作兵衛が、京都表千家の不審庵を模して作られました。
現在は非公開、詳しくは浅草寺ホームページより「浅草寺 諸堂案内」。
浅草に観えても普段は立ち入ることのできない場所です。
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